まさんぽぶろぐ

毒親育ち、ガンサバイバーが借金をかかえてから、資産1000万まで増やして、か細い幸せを手に入れるまでの道のりやノウハウをつづっていきます。

アル中の祖父

母は父の実家に嫁いできたのだが、祖父母との仲が険悪で、いつも祖父母のことを悪魔のように文句を子どもたちに言い聞かせていた。
子どもたちはそんな母や祖父母の機嫌を取るような立ち回りを自然としていた。

だが祖父はいつも怒っている過激な人で、アル中だった。

母に向かって包丁を投げるなどたまに手をつけられないことがあった。

そんな祖父は私が小学生になるとアル中やら認知症やらが悪化して、ほとんど歩くこともまともに話すこともできなくなっていた。


ある時、小学1年生の時に私が友達と部屋で遊んでいると

急に「ばあ!ばあ!ばあ!ばあ!」と祖母のことを大声で呼び叫んでいた。

それがずっと止まらず、遊んでいるどころではなくなった私たちは2キロほど離れた山の畑の祖母のもとへ向かったというようなことがあった。

 

小学3年生の夏休み、私は徘徊がひどくなった祖父の見張りを任されていた。
その日、私は植物の水やり当番で、学校に行かなければいけないことを忘れていたことを思い出して、同じ当番の子に謝罪の電話を入れようとした。

祖父が寝ているのを見計らって電話をかけに部屋を出た。


同級生に電話をかけ終わるとガシャーン!!と大きな音が聞こえて駆けつけると、祖父が部屋のドアに頭を打って血だらけになっていた。

その後は救急車で運ばれて何針か縫うことになった。
私が事の重大さを認識できておらず、ちょっと目を離したのがいけなかった。


このように祖父の介護は日常的に行われており、私や家族は常に祖父のことを気にする必要があった。